2020-06-02 第201回国会 参議院 外交防衛委員会 第15号
○国務大臣(茂木敏充君) 榛葉委員と久しぶりに議論させていただくんですが、最初に質問を受けたのはもう十五年以上前のことになりまして、急に榛葉委員から、二月七日、北方領土の日は元々何の日だと聞かれまして、たしか、一八五五年の二月七日に日露修好条約が結ばれた日だと思いますと、そう答えたのが最初の答弁だったんじゃないかなと、そんなふうに思うところでありますが、御質問の社会保障協定につきましては、在留邦人数
○国務大臣(茂木敏充君) 榛葉委員と久しぶりに議論させていただくんですが、最初に質問を受けたのはもう十五年以上前のことになりまして、急に榛葉委員から、二月七日、北方領土の日は元々何の日だと聞かれまして、たしか、一八五五年の二月七日に日露修好条約が結ばれた日だと思いますと、そう答えたのが最初の答弁だったんじゃないかなと、そんなふうに思うところでありますが、御質問の社会保障協定につきましては、在留邦人数
来年、二〇一八年は、日仏修好条約締結から百六十年目の年となります。フランスでは、パリを中心に、数カ月の予定で、我が国政府主催により、日仏友好百六十周年を記念して日本文化を大規模に紹介するイベント、ジャポニスム二〇一八が開催され、その中で、歌舞伎、能、茶道、浮世絵などの伝統文化や、アニメや漫画、コスプレなど、いわゆるクールジャパンのイベント開催も検討されているとお聞きしております。
明治維新により、急速に近代化の設立に邁進していた日本は、朝貢貿易をこれまでどおり行うとともに諸外国との修好条約をいち早く進めていた琉球に対し、日本への併合と廃藩置県を進めようといたします。 ところが、明の代から続いている冊封関係から、いきなり日本の一部とすることはさすがにできません。
日米通商修好条約の平成版みたいなものだと、私はそういうふうに思うんですよね。 ですから、これ、事務方がやった交渉だ。だったらこれ、安倍総理はオバマ大統領と共同声明をまとめたわけですよ、その後、事務方がこんなことしちゃったんだね、総理、怒りませんか、これ。
開国ということでありますが、日本は日米通商修好条約を幕末期に結びました。これは不平等条約だと言われております。すなわち、何が不平等であるかといいますと、関税自主権の放棄、そして治外法権を認めさせられたわけであります。TPPにおける関税撤廃は、まさに関税自主権の放棄であろうと思います。TPPにおけるISD条項は治外法権に通ずるものがあります。
昨年は、下田条約、すなわちこれは日露修好条約と申しますが、百五十周年記念として、ロシアのサンクトペテルブルクに参りました。その郊外の軍港、これはクロンシュタットというんですけれども、そのクロンシュタットに、幅二メートル、高さ三メートルの大きな記念石碑を寄贈してまいりまして、現地の要人とも一緒になって除幕もしてきたところでございます。
日露修好条約百五十周年という節目の年でございました。十一月にプーチン大統領が訪日したわけでございます。首脳会談が行われましたが、残念なことに、今までになかったことでございますが、何らのコミュニケ、共同宣言とかそういうものが一切なかったということでございまして、日ロ行動計画についての覚書といいますか、それにとどまったということでございます。大変残念だということでございます。
今年はペリーが下田に参りまして、日本に初めてアメリカの領事館を作り、すなわち日米通商修好条約を結びまして百五十年の節目の年でございます。
先ほどからお話ありますとおり、来年度は日露修好条約百五十周年、そしてまた北方領土返還要求運動開始後六十年という大事な節目になるわけです。この時期にやはり広報啓蒙活動をしっかり行っていくのが大事だということでありますので、町村外務大臣、そして小池担当大臣にその決意をお聞きして、質問を終わりたいと思います。
第一に移住百周年、二番目にメキシコの政治経済情勢、三番目にNAFTA、四番目に一言でございますが白墨修好条約でございます。 第一の移住百周年、おかげさまで本年の五月十二日にメキシコシティーで無事式典が挙行されました。これには御案内のとおり、日本から秋篠宮、同妃両殿下、加えましてセディージョ大統領夫妻、ダリア外務大臣夫妻等メキシコの閣僚も出席いたしました。
マスコミが発見したのかどうかそれはわかりませんが、やはり正しい情報を民衆に伝えるというようなことがあり、また、ソ連の軍の機関紙赤い星ですか、赤い星なんかも、今までの修好条約以来の日露、日ソ、長い歴史を見れば、北方四島が日本のものでないということを反論する根拠は証拠がないとか、そういうようなことを認めてきていることは、私は前進だと思うんですね。
それにはやっぱり「法と正義」ということで、例えばこの間は、修好条約というようなものの一部がロシアのマスコミに出てくる。あるいは、帝政ロシア時代に修好条約を結んだときか何かに訓令を出しまして、千島列島のウルップ島まではロシアのものだと、こう言っていることがはっきりしているわけですから、そういうものをまず認めさせるということが手順のまず始まりなんです。
だから、ソ連にも古文書もあるし、百年前の修好条約の条約文もあれば、千島、樺太の交換条約もあれば、そのときソ連の当時のロシア帝政時代に訓令を出して、択捉、国後はこれは日本のものよとはっきり書いてあるわけですから。だからそういうものを、ありのままのものを「法と正義」だから出しなさい、ソ連国民にPRをしてください、そうすればおのずから世論もできるんですから。
なるほど、考えてみますとこの問題については深い歴史があるわけでありまして、一八七六年には軍隊の威力を背景にして修好条約を強要し、それに始まりて明治三十八年、一九〇五年にはこれまた軍隊による威迫のもとで朝鮮を保護区にし、ついに明治四十三年、一九一〇年にいわゆる併合条約で完全に日本の植民地化をする態勢をつくったわけであります。
当時アラスカは御案内のようにロシア領でございまして、米露株式会社というものが存在をいたしておりまして、アメリカの日本に対する通好を求める動きをいち早く察知したロシア帝国が、プチャーチンをいわゆる特使として、修好条約締結のために派遣をしてきておる。こういう事態の中で、一八五四年には日米和親条約というものが締結をされております。
特に私は、シベリア地方のブラーツク、それからイルクーツク、ハバロフスク、ノボシビルスクという四つの都市へ自民党代表団六十人の団長として参りましたときに、向こうの連中が出てきてしきりに言うことは、あなた方は中国と尖閣列島をたな上げにして条約を結んだのだから、北方領土をたな上げにして、われわれとも平和条約ではなしに善隣修好条約を結ぼうではないかということを言いました。
そこで、一つだけ、先般の委員会で私の先輩議員の渡辺委員が質問いたしましたソ連・イラン間の一九二一年の条約、そしてまた二七年の条約、これについて、特に前のは修好条約という名でこの間話題になりましたけれども、ソ連・イラン間に対立があって、しかもその条約の中に破棄条項がなくて、主張が対立したままになっているということの御答弁もいただいたやに承知しておりますが、後の一九二七年のソ連・ペルシャ中立不可侵条約につきまして
二一年のソ連・イラン修好条約というものがございまして、これは特に第五条で「相手国に敵対することを目的とする団体または個人の自国領域内における組織または存在を許容しないこと」とか、あるいは第六条で「第三国がイラン領域内において武力干渉により侵略政策を実施し、またはイランの領土を反ソ軍事行動の基地としようと企図するような場合には、」そして 「これによりソ連の国境が脅威を受け、またソ連政府の警告の後にイラン
日本語では修好条約と書いてありますが、英語の方ではトリーティー・オブ・フレンドシップとなっております。友好条約であります。 特にその中の五条、六条の解釈について、中近東局長あるいは条約局長から御説明いただけませんか。たとえば、アメリカが軍事行動をとった場合には、このイランとソ連の間の条約というものが援用されはしないかという懸念があるからでございます。
ということで、これは中学校の教科書にはここまで具体的に書いてないと思いますけれども、明治の初めの日ソ領土交換修好条約というのですか、ああいうものも場合によっては取り上げることになっておろうかと思います。それから、同じく中学校の「公民的分野」では「国際社会と平和」ということで、「国家の主権、領土(領海、領空を含む。)、国際連合などの学習を通して」云々ということでこれらの問題を勉強させる。
○説明員(長尾立子君) 在日アメリカ人につきましては、日米修好条約におきまして、強制的な保険に関しましては、その両国間において最恵国待遇、つまり同国人と同じ扱いをするということが国民年金法施行前に結ばれておりまして、この観点から言いますと、国民年金につきましても強制適用になるという解釈がとられておるわけでございます。これはある意味では二国間協定という形になっておるわけでございます。